セラピストとしての働き方は大きく分けて2通り。どこかのサロンに所属して会社員のように働くやり方と、自分自身でサロンやスクールを構える〝開業〟という働き方です。
そして後者の働き方は、自由がある一方で、それなりのリスクもあるもの。
それでも〝開業〟を選んだセラピストたちには、どんな想いがあったのでしょうか?
今回、掲載の許可をいただいた19のサロン・スクールの物語をご紹介します。
取材・文◎本誌編集部
CONTENTS
- ヒールエナジー since1996
- Kei.K Aroma Studio since2002
- Myrodia ミロディア since2002
- 香りと色彩のアトリエ紗泡SAPO since2003
- 名古屋セラピストオフィス since2004
- アロマテラピーサロン&スクール クラリセージ since2005
- メディカルアロマサロン ホリスキュア since2007
- Body Therapy NY FLOW since2008
- Aromasalon Maki since2010
- アロマハーブカレッジ ルクール since2011
- Liprana* since2013
- アロマサロン&スクール 香温—かおん— since2013
- ヒーリングサロン あるけみ〜さ since2014
- アロマスクールMori Note since2015
- アロマベーネ since2015
- シン・リンパドレナージュサロン since2017
- Hidamari since2019
- インナーチェンジングセラピー 羽 since2020
- 彫刻リンパサロンSérénité since2020
心も身体も健康で幸せなwellness社会の実現のため
ホリスティックなケアと学びを提供
ヒールエナジー(1996年11月設立)
古都・京都で、25年以上にわたって、エステ、カラーチャートを用いたカウンセリング、アロマケア、そして観相学の講座などを提供しているサロン&スクールがヒールエナジーです。オーナーの嶋田玲子さんの活動については、『セラピスト』2022年12月号の記事「セラピストが識っておきたい 観相学」でも紹介させていただきました。
嶋田さんは、「心と身体と顔はつながっている」という信念のもと、多くの人が心も身体も健康で幸せな「wellness」の状態でいられる社会の実現を目指して、日々訪れるクライアントの心と身体を癒し、また観相学の叡智を伝えています。
元々はホテルなどに勤務するエステティシャンだった嶋田さんですが、同時期に立て続けに「独立してみては?」というお客からの要望があったことから、独立を考え始めたといいます。勤務先に辞職の意向を伝えるとともに、開業準備をスタートさせ、5カ月後の1996年11月、ヒールエナジーを立ち上げます。
さらにそこから間もないタイミングで、嶋田さんの運命を大きく変えることとなる観相学との出合いもありました。学び始めた観相学は、ヒールエナジーを訪れるお客さまにより良いセラピーを提供するのに役立ちました。また、エステのお客さまが興味を持たれて観相学も学びにくるなどの好循環も。いつしか、嶋田さんのもとには全国から受講生が訪れるようになっていました。
そして、気づけば25年以上……。
「施術やカウンセリングで、お客さまが健康に美しくなっていったり、抱えている問題を解決されたりするのが、私の一番の喜びであり、やりがいです」と話す嶋田さん。 開業当初から通い続けているクライアントも多く、その1人ひとりの人生に寄り添ってきました。嶋田さんの“在り方”、言葉の端々から伝わる温かい想いに、信頼して長く通い続けられるサロン・スクールの真髄を見た思いがしました。
「アロマセラピーで人生は変えられる」
多くのクライアントと向き合うなかで見つけたこと
Kei.K Aroma Studio(2002年2月設立)
「アロマセラピーで人生は変えられる。私はそう確信しています」
小林ケイさんのホームページには、こんな言葉が掲載されていました。
その著書は海外でも読まれ、大活躍のアロマセラピスト・小林ケイさん。彼女がアロマテラピーと出合ったきっかけは、自身の病気でした。
「アロマセラピーと出合い、健康になった体験を、1人でも多くの人に伝えたい」
強く純粋なその想いから、小林ケイさんは開業を決意します。当時は今ほどアロマスクールやサロンの数は多くなく、自分が納得できるスタイルでアロマセラピーを行うとしたら「開業」という選択肢しかなかったとも。
以来20年以上、彼女はアロマセラピストとしてたくさんのクライアントと向き合ってきました。
「不調で悩む方は『健康になりたい』と願います。でも、身体の不調が改善されても、特にストレスがなくても、どこか優れない……」
多くのクライアントと向き合う中で、“本当の健康とは?”と追求し続けた結果、彼女のアロマセラピーのスタイルはどんどん変わっていきました。
そして、精油を対症療法的に用いるのではなく、“その方の人生の目的や願望をサポートするために”使うようになってからというもの、たくさんの奇跡的なドラマに立ち会うようになり、多くの驚きや喜びとともに、アロマセラピーの本質への理解が深まっていったといいます。
「たった1本のエッセンシャルオイルで大きく生き方が変わっていく方。
たった1回のトリートメントで、人生の方向転換を決心される方。
心地よいと感じる香りを自分のために使うというプロセスから自己愛に目覚める方。
精油の香りと向き合うことで、どんどんその方の内面が磨かれ、その方らしい生き方に変わっていく……そのプロセスに立ち会えることが、私の一番の喜びです。だから、セラピスト・講師という仕事は、私の天職だと思っています」
物質的には豊かでも、悩むことの多い現代社会。
生まれてきた意味を探したいと考えるたくさんの人が、今日も小林ケイさんの許を訪れます。
アロマの力で幸せにベクトルを……
大きな愛から生まれたプライベートサロン
Myrodia ミロディア(2002年2月設立)
お客さま1人ひとりとじっくり向き合い、一生お付き合いしていくーーそんな想いで開業を決めたのが、東京都千代田区にあるサロンMyrodiaのオーナーセラピスト、於保啓子(おほけいこ)さんです。
「心理学を学んだことで、自分自身も含め、リラクゼーションが重要だと感じたんです。そんなとき、『植物は傷ついたとき動けないから、自分で粘液を出して治したり、虫から身を守るために虫が嫌いな香りを出したりして自分を守るんですよ』という言葉と出合い、私の中で何かが目を覚ましました。そして、『治そうと思わなくちゃ!』と、アロマの世界に飛び込んだのです。当時はアロマテラピーがちょうど流行り出した頃でした」
そう教えてくれた於保さん。アロマテラピーを学べば学ぶほどその効果に驚き、そしていつしか、「本当のセラピーを安い値段で受けられるサロンを作りたい、そのことで世の中の困りごとを抱えている人を少しでも減らせるのではないだろうか……」そんな夢を抱くようになりました。
「あなたの替わりは誰もいません」
何よりもこのことを1人ひとりのお客さまに伝えていきたいと、プライベートサロンを開業してから、早20年。お客さまの心の中を愛でいっぱいにすること、心からリラックスしていただける場であることを、於保さんは心掛けてきました。その間、ご自身も、5年間の二重生活と遠距離介護、コロナ禍など、幾つもの試練を乗り越えてきました。その経験がまた、お客さまとより深く向き合うことにつながったと言います。
また、多くのお客さまの人生に寄り添い、そのニーズに応える形で、マタニティアロマやベビーマッサージなど、サロンで提供できるメニューの幅も広がっていきました。
「男性優位の社会で鎧を纏っていたキャリアウーマンが会うたびに柔らかくなり、結婚をして幸せな家庭を手に入れたり、不妊に悩んでいた方がおめでたの報告をくださったり。そんな幸せなお知らせをいただくのが何よりの喜びです。私は精一杯お手伝いをしていきます」
真心とたくさんの愛でお客さまを包み込んでくれる於保さん。その姿にセラピストの一つの理想の姿を見たような気がしました。
人とつながり、役に立てるセラピストの仕事は
状況の変化にもしなやかに対応できる選択肢
香りと色彩のアトリエ紗泡(SAPO)(2003年設立)
「私がセラピストを仕事にし始めたのには、2つの理由がありました。1つ目は、知り合いなどのいない山梨で子育てをしていて、アロマなどを使えば人の役に立つだけでなく、自分も人とつながれると考えたから。2つ目は、夫の病気、その看病と子育て、さらに義両親、障がいのある義父の妹との同居というなかで、スケジュール管理をしながら自分らしく仕事がしたいという思いがあったからです。活動をスタートさせたのは2003年のことでした」
セラピストとしての開業を決めたきっかけをこんなふうに話してくれたすぎもとかおるさん。現在は公立大学法人都留文科大学のキャリアセンターでキャリアコンサルタントとして働いています。「私の経験がどなたかの参考になれば……」と、お話を聞かせてくださいました。
アロマだけでなく、数秘&カラー、クレイセラピー、フラワーエッセンス、金箔エステ、コーチング、カウンセリングの資格をお持ちのすぎもとさん。今後はボランティアや後進の育成なども行い、社会に貢献していきたいという想いをお持ちです。
また、今の仕事でも、学生相手のカウンセリングのときにアロマケアも行うなど、身につけてきた技術は大いに役立っています。「先の見えないコロナ禍で、学生たちは皆、将来への大きな不安やストレスを抱えていました。アロマケアがあったので、単に就職の相談をするだけでなく、学生たちの心と身体を癒すことができました」
そもそも、地元の都留文科大学から「是非とも専属で」との声がかかったのも、セラピストの仕事で得た人とのつながりが運んできたご縁でした。
さまざまな事情があって会社員などにはなれなくとも、自分のペースで自己実現ができるのが癒しの仕事。しかも、人の役に立ち、人とつながり、さまざまな立場の人を幸せにすることができます。
セラピストの仕事の大切さ、尊さを、すぎもとさんは改めて教えてくださいました。
男性やシニア世代にも癒しの場を提供したい
アロマ、東洋医学などさまざまな学びが結実したサロン
名古屋セラピストオフィス(2004年6月設立)
アロマと東洋医学を柱にさまざまなメソッドを取り入れた癒しを提供する名古屋セラピストオフィス。オーナーの柴田俊生さんは、アロマセラピスト、整体師、はり師・きゅう師、個性心理學 認定講師・カウンセラー、国際レイキ普及協会認定レイキティーチャー・ヒーラーと、多様な技術を持つスペシャリストです。人の心と身体の癒しと健康、そして人生の成功を追求しています。
「いろいろなことが起こる世の中。ストレスや疲れを蓄積させてしまう人も多いです。周囲を見渡すと、女性にはストレスの発散が上手な人が多く、また、ストレス発散や癒しの場所も機会も比較的多いですね。一方で男性は、ストレスのはけ口が、酒、たばこ、ギャンブルなどになってしまってはいないでしょうか? これでは、心身の健康にかえって悪影響を及ぼしてしまいます。男性を癒せる場がないのなら、自分で作ってしまおう! と考えたのです」
そんな柴田さんは、飲食店勤務を経て家業の食品関連業に従事。その間、一女三男を授かります。ご次男とご三男は自宅出産で、奥様を介助しながら感動的な瞬間に立ち会い、柴田さんは生命の神秘、力強さへの興味を深めます。そして、何とはなしにアロマスクールで学び始めます。
もとはサービス業を志向していた柴田さんは、ご両親が年金受給年齢に達したことを機に家業をたたみ、2004年、アロマセラピスト資格取得と同時に開業します。しかし、「希少な男性アロマテラピスト」としてもてはやされはしたものの、業績は思うように伸びません。そこで鍼灸の専門学校での学びをスタート。昼は仕事、夜は東洋医学を学ぶという多忙な生活を経て、2010年、無事に国家試験に合格。48歳の初夏に鍼灸院も開業します。さらに柴田さんは人の心と身体の健康を追求するための学びを止めません。はり師・きゅう師養成施設教員資格、個性心理學、レイキ……。
家族全員が健康で、プライベートでも仕事でも人間関係が良好、そして満足のいく収入も叶える……そんな「倖せ」で「成功」した人を一人でも増やしたいと語る柴田さん。あらゆるメソッドを融合し、今日も真摯にお客さまに向き合います。
アロマトリートメントの学びを活かし
自分の想いを自在にカタチにできる環境を求めて
アロマテラピーサロン&スクール クラリセージ(2005年12月設立)
「短大で観光を学んだ後、最初はホテルのフロントに就職しました。当時の私から、独立してセラピストをしている今の姿は想像できないですよね」
そう話してくれた大久保さん。「これが自分の天職なのか、まだ確信は持てずにいるのですが……」と、とても謙虚に話しますが、生活の木やカルチャーセンターなどの講師も任される実力派セラピストです。
もともと、ホスピタリティの塊で、アイデアが豊富な大久保さん。自分のサロンを持ちたいと考えるようになったのは、ホテルから転職したリラクゼーションサロンで店長に昇進し、店を動かす面白さを感じ始めた頃からでした。
お客さまのために改善したい点などをどんどん提案し、その積極性が評価されていた大久保さん。ですが、大きな組織では身軽に動けないことも。例えば大久保さんの職場では、将来的にアロマトリートメントもメニューに取り入れようという方針がありました。そこで、アロマについて学び、資格も取得した大久保さんでしたが、会社としてのアロマメニューの導入までは何年もかかりそうでした。
「お客さまのご要望に応えてアロマを使いたい」、さらには「メニューにとらわれず、お客さま1人ひとりにもっと寄り添ったケアをしたい」という想いに突き動かされて、大久保さんは独立を決意します。
無理をせず、自宅の1室を利用したプライベートサロンからスタートした大久保さんでしたが、サロンは順調に発展。2021年には、コロナ禍にもかかわらず、姫路駅前に拡大移転します。
このサロンにも大久保さんならではのアイデアが活きています。2部屋を設け、1部屋をレンタルスペースにしているのです。クラリセージでアロマを学んだ生徒さんや講座の受講生たちから「せっかく資格を取ったのに、活かせる場がなくて……」という悩みを聞くことが多く、それならば、と活躍の場を提供したのでした。
そんな大久保さんは今、“セラピストが世の中のためにできること”をさらに大きく広げていくような活動もスタートさせています。
豊富なアイデアと高い理想を持つ大久保さん。ますます目が離せない、姫路のセラピストです。
この素晴らしさを多くの人に伝えたい!
メディカルアロマと陰陽五行論の融合
メディカルアロマサロン ホリスキュア(2007年設立)
https://www.medical-aroma.info/
東京・神楽坂の閑静な住宅街にある大人気のスクール&サロンが、東京メディカルアロマスクール ホリスキュア。オーナーの堀 有紀恵さんは、鍼灸・指圧マッサージ師の国家資格も持つメディカルアロマセラピストです。
そんな堀さんですが、大学を卒業してすぐに就職したのは大手化粧品会社でした。今の姿からは想像もつきませんが、当時の堀さんは肌のトラブルに悩んでいたそうです。そして、「身体の中から健康に美しく」というアプローチができる東洋医学に興味を持つようになります。
堀さんは専門学校に通い、鍼灸指圧マッサージの国家資格を取得します。
卒業後は施術所で鍼灸指圧マッサージ師として働いていた堀さんですが、「何か臨床に役立つ治療のヒントになるものは……」と探していたタイミングで、今度はメディカルアロマとの運命的な出合いを果たします。
メディカルアロマの薬理効果に驚き、自身の悩みだったアトピーもアロマですっかり治してしまった堀さんは、メディカルアロマの素晴らしさを多くの人に伝えていきたいと考えるようになります。そして2007年、堀さんは東京メディカルアロマスクール ホリスキュアを開校させました。
東洋医学の陰陽五行論とメディカルアロマとの融合、さらに豊富な臨床経験からくる説得力のあるレッスンは、奥が深いのにわかりやすいと大好評。初心者から医療従事者まで、ホリスキュアには関東一円から多くの受講生が集まるようになります。
さらに堀さんは、卒業後、受講生が学んだことを活かして活躍できる場づくりにも力を入れていきます。開業サポート、受講生同士の横のつながりづくり、卒業生とともに開催する講座やイベント……。
資格を取り終えたら終わる関係ではなく、その後のサポートもしっかりとしていることで、東洋医学やメディカルアロマを学んだ受講生も、さらにそれを周囲に広めていくことができるでしょう。
素晴らしいと感じたものを貪欲に学び、その学びを惜しみなく世に伝え広め、自分自身も輝く……。そんな堀さんの姿に憧れて、門を叩く人が絶えません。
夢を断念した経験すらも糧に
本場の高い技術で多くの人を癒し導く
Body Therapy NY FLOW(2008年4月設立)
「よどみない時の流れ(FLOW)の中で、一期一会の出逢いに感謝して、1人ひとりに最適な施術を行っていきます」
そう話すのは、Body Therapy NY FLOW(フロウ)のオーナーセラピスト・藤田朱美さん。本場N.Y.で8年にわたりトップセラピストとして活動し、N.Y.と日本で1万人以上を施術してきました。
藤田さんは、「プロフェッショナルなセラピー(療法)としての施術を受けられるところがない」という日本のクライアントの要望に応えるべく2008年に帰国。銀座にサロン&スクールを開きました。その後、Body Therapy NY FLOWとフロウボディセラピースクールとして活動の場を広げていきます。確かな知識と技術、幅広い経験に裏打ちされた施術と指導は、多くの人から絶大な支持を受けています。
そんな藤田さんですが、過去には大きな挫折の経験がありました。
3歳からモダンバレエを始めた藤田さん。短大卒業後、一度は証券会社に就職するものの、ダンスインストラクター、大学のダンス実技の講師、ご当地アイドルなど、パフォーミングアーツの世界に生きることに。東京ディズニーランドのダンサーとしても活躍します。しかし、持病の腰痛に悩み、さまざまな医療や治療法を試すも改善されず、ついにダンサーを引退……。
次の夢を見つけようと、藤田さんは単身ニューヨークに留学しました。そこで、自らもさまざまな療法や手技を試してきたからこその、マッサージセラピーとの運命的な出合いがありました。
2度目の渡米で、世界最高峰のマッサージセラピーの大学へ入学。スウェディッシュマッサージの基本から解剖学、生理学、リフレクソロジー、頭蓋仙骨療法、ディープティシューセラピー、東洋医学……あらゆる分野の最先端の手技と理論を学びます。語学のハンデもあるなか、学生を次々とふるいにかける厳しいカリキュラムを努力で乗り越え、好成績で卒業しました。
高い技術はもちろん、その明るく元気な人柄にも惹かれて、多くの人が藤田さんのもとを訪れます。それは、どんなに苦しい経験も糧にしてきた藤田さんだからこそ持てる輝きなのでしょう。
自分らしさを大切にしつつ、お客さまも笑顔にしたい
こだわりを詰め込んだ自宅サロン&スクール
Aromasalon Maki(2010年9月設立)
『セラピスト』本誌にも何度もご登場いただいている、「Aromasalon Maki」と少人数制エステスクール「tetote」を運営する人気セラピスト・岡澤万貴子さん。
茅ヶ崎市の一軒家に、岡澤さん自身がアロマと出合ったイギリスのB&Bをイメージしたというこだわりの内装の自宅サロンを開業しています。
岡澤さんのサロンのホームページを開くと、まずこの言葉で、ホッと安心させられます。
「私が「わたし」になれる場所
手と手で繋がる、Aromasalon Maki」
その言葉通り、いずれも高品質な国産コスメやオーガニックオイル、ハーブなどの中から、お客さまの素肌に合ったものをオーダーメードで厳選して用い、免疫力と自然治癒力を高めていく施術が評判を呼んでいます。
そんな岡澤さんが独立・開業を決めたのは、「結婚と同時に、家でフレキシブルにできる仕事をするため」だったと言います。
高校時代に留学先のイギリスでアロマテラピーと出合った岡澤さんは、香りの文化に魅了されます。大学卒業後、会社員の傍らアロマテラピーを本格的に学び、資格を取得。アロマセラピストとしてホテルで2年間勤務したのち、結婚を機に独立・開業を決めました。「最初は、主人が仕事に行っている間だけ、ゆる〜く仕事ができれば、と思ったんですよね」と話す岡澤さん。開業資金もなるべくかからないように工夫してのスタートでした。
自宅サロンならではの丁寧な施術と温かなおもてなしが評判となり、岡澤さんのサロンはやがて人気店に。さらに、お客さまと深く向き合う会話から生まれたアイデアや「こんなこともやってほしい」という声に応えるうち、少人数制のエステスクール「tetote」の立ち上げや異業種とのコラボなど、新たな事業も次々と生まれました。
「これからも幸せな循環を生み出していきたいです」と話す岡澤さんの、挑戦は続きます。
アロマ&ハーブの力と友人の支えで取り戻した健康
その魅力を伝え、癒す側になり、輝きが増していく
アロマハーブカレッジ ルクール(2011年2月)
/ほぐしサロン ルクル(2022年6月設立)
https://lecoeur9.amebaownd.com/
「出産後、体調を崩すことが多くなり、育児もままならないほどの病院通いが続いていたのです。そんな私に健康を取り戻させてくれたのがアロマとハーブでした……」そう語ってくれたのは、熊本にあるアロマハーブカレッジ ルクールとほぐしサロン ルクルの代表・古閑ゆみさん。
体調を崩しがちだった頃、古閑さんを何かと助けてくれたのが、ご近所に住むママ友だった福島奈央子さん。植物の力で元気になっていく古閑さんの姿を一番近くで見てきたからこそ、2人でどんどんアロマやハーブの持つ力に惹きつけられていきます。
そんな2人でしたが、お子さまが小さい時期には子育てを優先したいという想いもありました。2008年頃からアロマクラフトなどの教室を開講するようになりますが、自宅で趣味程度だったそうです。
ですが、講座は思った以上に大評判! 「これは需要がある」と感じた2人は、さらにアロマの学びを深め、思い切ってスクールを構えることを決意します。こうして、2011年2月、アロマハーブカレッジ ルクールが誕生したのでした。
スクールを立ち上げた後も、古閑さんも福島さんもどんどん挑戦を続けます。2013年には嗅覚反応分析士に、2014年にはAEAJとJAMHAの認定教室に、2016年には嗅覚反応分析士トレーナーに……。ルクールから、多くのセラピストや嗅覚反応分析士が育っていきます。
2022年6月には、嗅覚反応分析の結果に基づいてお客さまにぴったりの施術を行えるほぐしサロン ルクルもオープン。早くも施術ベッドの増床を考えるほどの人気店となっています。
2人の活動は癒しの分野だけにとどまらず、2021年からは、嗅覚反応分析によるビーチサッカーチームのサポートも開始しています。
自分を癒してくれたアロマやハーブを貪欲に学び、その学びをどんどん周囲に還元し、幸せの輪を広げていく……学び続けることをやめない2人の姿勢に、セラピストのひとつの理想像を見せていただいたような気がします。
アロマとの出会い。自身の進化。
学びと感覚を活かしきるためのヒーリングサロン
Liprana*(2013年3月設立)
運命を変えたアロマとの出会いは2005年。そこから多くのスクール、そして本場イギリスでもアロマを学び、通算8年間の学びを経て自宅サロンを開業。さらに、“目に見えない何か”の存在も感じられるようになり、サロンワークと並行してスクールに通って学びを深め、日本ポラリティセラピーサポート協会・APP(Associate Polarity Practitioner)を取得。そして2020年にサロンメニューを一新。
宝塚と大阪でヒーリングサロンLiprana*を運営する富髙麻衣子さんは、ご自身の子育てとも見事に両立させながら、こんな怒涛の歳月を過ごしてきました。
「開業から約10年経ちますが、サロンの運営に悩まないときはありませんでした。でも、自分のやりたいことを、やりたい形で表現でき、それでいてお客さまの幸せにもふれられる。こんな幸せな職業はないと思っています」と語る富髙さん。
皆さまが疲れたとき、英気を養いたいとき、日常の喧騒から離れ、素の自分自身に還りたいとき……そんなときに訪れる“保養所”のようなサロンでありたいと話します。
さらに、<お人はエネルギーの流動体として捉える><お人のそのまんまを尊重する>という富髙さんが学んだポラリティセラピーの根幹となる考えに基づき、「ポラな子育て研究所」も始動。幼稚園でのお悩み相談、Instagramでの情報提供を始めました。
親子、家族、親戚、友人、地域、日本、世界……人間関係のハーモニーを良きものにしていきたいという大きな夢があります。
「セッション後、お客さまの安らぎに満ちた穏やかな表情や、夢や希望に満ちたキラキラとした眼差しを見る瞬間、本当に幸せを感じます。ぜひ、ご自身が楽しんで、楽しい方向に向かって歩まれてください。そうすればきっと良いことが訪れるはずです!」
開業を夢見るセラピストに、そうエールを送ってくれた富髙さん。彼女自身が誰よりもキラキラと輝いています。そして、大きな愛と未来への希望を、しっかりとその胸に抱いているのだと感じました。
いずれは独立したい……という想いを
お客さまや周囲が後押ししてくれて開業
アロマサロン&スクール 香温 ーかおんー(2013年9月設立)
https://aroma-caon.jimdofree.com/
「以前の勤務先を退職するときに、お客さまに当たり前のように『開業するんでしょ?』と聞かれたんです。当時私は30歳で、年齢的に開業をしそうなタイミングだと、皆さん思われたようですね。私自身、いつかは独立したいとは思っていたので、そんなお客さまの後押しがきっかけで、開業に踏み切ることができました」
今年の9月に10周年を迎える、埼玉県越谷市のアロマサロン&スクール香温。オーナーの新垣静香さんはそんなふうに教えてくれました。
そんな新垣さんは、かつては心理カウンセラーを目指し、大学では臨床心理学を専攻していました。アロマとの出合いは大学2年生。大学としては珍しく、「アロマテラピー講座」が開講されていたのがきっかけでした。大学在学中にアロマテラピー検定1級、次いで上級資格のアロマテラピーアドバイザーの資格を取得した新垣さん。でも、当時はアロマを仕事にしようとは全く思っていなかったそうです。
卒業が近づくにつれ、卒業論文の執筆、大学院進学を悩みながらの就職活動、心理系のアルバイト……と、多忙で、心身ともにゆとりのない状況に置かれるようになった新垣さん。風邪をこじらせたり、過敏性腸症候群や胃腸炎になったりと、体調を崩すことが続きます。そんなとき、ふと立ち寄ったサロンでボディケアを受け、新垣さんはすっと心が軽くなることを経験します。心と身体は繋がっていること、人の手の温もりや筋緊張がほぐれることで心も開いていく可能性があることを、身を持って実感しました。
そして、「私はこういう形で心へのアプローチができるセラピストになりたい!」と、道が定まったといいます。
大学を卒業した新垣さんは、まずは大手チェーン店に就職。その後、勤務セラピストとしても個人としても、幾つかのサロンの立ち上げに関わる機会がありました。
また、フリーセラピストとしても、産婦人科や病院、高齢者へのアロマトリートメント、緩和ケア病院でのボランティアなど、アロマの力で多くの人を癒すべく活動。
そして、そんな新垣さんを慕う多くの人の後押しを受けて誕生したのが、アロマサロン&スクール香温なのです。
自分の才能を活かし、人のために役立てたい。
理想を求め、組織の枠を抜けて自由に羽ばたいた!
ヒーリングサロン あるけみ〜さ(2014年2月設立)
https://www.alchimista-salon.com/
『セラピスト』2月号タオル特集の「タオルでカラーセラピー」に登場した、ヒーリングサロンあるけみ〜さの山田聖子さん。“かけがえのない自分になる”をテーマとして掲げたサロンで、エステ、アロマ、カラーセラピー、数秘、リーディングと、さまざまなメソッドを組み合わせたホリスティックな癒しを提供しています。
リピート率ほぼ100%、新規クライアントのほとんどが口コミによる紹介という、その驚異的な支持を受けるサロンの秘訣は、山田さんにしかできないOnly oneの癒しにあります。
そんな山田さんが自分のサロンを持とうと思ったきっかけは「より広い自由なフィールドで自分の才能を活かし、お客さまを癒し、人生をよくして差し上げたい」という想いでした。
エステティシャンとして多くのお客さまに接する中で、自らを高め、より良い施術を行うために、美容、アロマ、カラー、数秘など、さまざまな学びを深めていった山田さん。しかし、会社に雇われた立場では、「こうすればもっと良くなるのに……」と思ってもそれができず、歯がゆい思いをすることも。そこで選んだのが独立開業という道でした。
「この身を、社会に、世のため人のために役立てたい」との想いで、一目惚れした街・国立でサロンを立ち上げた山田さんでしたが、「実は全然地縁のない場所で、最初はすごく集客に苦労したんですよ」と笑って話します。そして、これから独立を考えるセラピストには「最初に集客をしておくこと! ある程度集客の目星をつけておいてから開業することを強くお薦めします!」と言います。
「始める前は開業資金にばかり意識が向きがちですが、運転資金も大事です。夢だけでなく、現実を見てシビアに戦略を練ることも必要。……とはいえ、自分のサロンで、自分を求めてくださるお客さまに、喜んでいただけて、頼りにしていただけること。お客さまが癒され、人生が好転していくこと。これは独立しなければ得られなかった喜びです。これからも理想の癒しを実現していきたいです」
苦しみを乗り越えさせてくれたアロマ
その素晴らしさを伝え「自分の人生」を生きるお手伝いを
アロマスクールMori Note(2015年5月設立)
https://www.aromamorinote.com/
『セラピスト』2022年8月号のクラフト特集にも登場している、アロマテラピー講師の宮澤悠実さん。アロマ講座の開催、OEMによるオリジナルの化粧品販売、卒業生とともに開催するイベント、精油の力でメンタル面に働きかける潜在意識アロマなど、アロマを活かしてあらゆる方面に活躍の幅を広げています。
「アロマで自分の潜在意識の声に気がついた方が、想いを叶えるためにどんどん行動し、いきいきと輝いていく姿に感動しています」と話す宮澤さんですが、実はご自身もかつて、辛さや生きづらさを感じていました。
「子どもの頃はひどい人見知りで、いつも“失敗しないようにしよう”と、神経を尖らせていました」と話す宮澤さん。
さらに高校生のとき、宮澤さんは突然、お父さまを亡くします。父を奪ったものは何だったのかーー医療を学びたいと看護学校へ進学し、看護師になった宮澤さん。看護師の仕事に大きなやりがいを感じていましたが、一方で、ミスが許されない仕事のプレッシャーや緊張、不規則な勤務体制などで、知らず知らずのうちに無理が重なっていました。
心身ともに疲弊していたとき、宮澤さんはアロマテラピーと出合います。アロマの可能性に惹かれ、学びを進めるうち、それまで「周りに求められ、認められる自分」であろうとしていたことに思い当たります。
そして、「自分の人生を生きよう、やりたいことをやってみよう!」と決意して立ち上げたのがMori Noteでした。かつてのご自身が辛さを乗り越えたように、縁あった人たちの想いの実現をサポート。看護師の経験があるからこその、エビデンスや安全性を重視した姿勢も人気の秘訣です。
「私自身、自分を尊重することや、ありのままの自分として生きることができていませんでした。でも、アロマの力でそれを乗り越えることができたのです。かつての私と同じように苦しい状況にある方の、夢の実現のお手伝いをしたいと思っています」
猛烈に働いていた会社員からの転身
アロマの力で人を笑顔に……
アロマベーネ(2015年7月設立)
東京都北区にあるアロマテラピーサロン&スクール「アロマベーネ」。“Bene”とは、イタリア語で“調子が良い” “うまくいく”などの意味で、オーナーの川瀬裕子さんは「出会った皆さまの毎日がBeneと笑顔になりますように、周囲の皆さまに笑顔が広がっていきますように、という願いを込めて名付けました」と話します。
アロマの力で、女性が美しく輝き、健康に生きるお手伝いをしている川瀬さんですが、かつては癒しの世界とは真逆のような生活をしていました。
会社員として働いていた当時の川瀬さんは、管理職として大きな責任のある立場を任されていました。海外出張もこなし、猛烈に忙しい毎日。充実した日々でやりがいもありましたが、膨大な仕事量をこなし、休日も返上。ときには持ち帰りの仕事を徹夜で片付け……。そんな生活が何年か続き、ついに心も身体も限界を迎えてしまったそうです。
「ある朝、目が覚めると、身体中がひどく痛くて、起き上がるのも精一杯に。その頃は管理職としての悩みも大きくて……」
そんな川瀬さんを救ってくれたのがアロマテラピーでした。
それまでも自分へのご褒美としてマッサージを受けることはあったという川瀬さんですが、精油を使ったトリートメントはまるで別物でした。初めてローズ精油によるアロマトリートメントを受けたとき、セラピストの手の温もりを感じたその瞬間に、川瀬さんの中で張り詰めていた緊張の糸が一気に緩み、スイッチが切り替わりました。
「もっと、シンプルに生きよう……」
会社を辞めてアロマの勉強を始めた川瀬さん。学ぶほどに癒され、アロマの力に魅了されていきます。心身ともに本来の健康な状態を取り戻した川瀬さんは、誇りを持って長く続けられ、人を笑顔にできる仕事をしたいと、サロンを立ち上げました。
「お客さまの身体と心に良い変化をもたらすことができたとき、大きな喜びを感じます。ご縁のあった皆さんに笑顔を取り戻していただき、ともに成長していきたいです」
川瀬さんは、穏やかな笑顔でそう教えてくれました。
なお、川瀬さんは現在、ディープティッシュのマッサージセラピーのブラッシュアップのため、スクールに通学中です。
自立して生き生きと輝いている背中を
我が子に見せたかった
【骨盤ドレナージュアカデミー併設】
シン・リンパドレナージュサロン(2017年1月設立)
書籍『シン・リンパドレナージュ』(小社刊)が絶好調。2022年には「リンパドレナージュ理論検定」も立ち上げた古瀧さゆりさんは、今や「リンパドレナージュのカリスマ」といっても過言ではない存在。
そんな古瀧さんですが、独立を考えたきっかけは、重度の食物アレルギーを持つ息子さんの「ママ、アレルギーでごめんね……」という言葉でした。当時の古瀧さんは専業主婦。市販されている食べ物のほとんどにアレルゲンが含まれてしまうため、息子さんの口に入るものは、ほぼ全てが古瀧さんの手作りでした。それを負担に感じたことなどなかった古瀧さんでしたが、息子さんの中には「ママに申し訳ない」という気持ちが芽生えてしまっていた……。
「家にいても、自立して輝いている姿をこの子に見せよう! そのためには自宅でサロン開業だ!」
それまでセラピー業界や美容業界とはほとんど縁のなかった古瀧さんですが、決意を固めて以降は、迷いなく突き進みました。
もしかすると、目標が〝自宅サロン開業〟だったら、古瀧さんの今の輝きはなかったかもしれません。しかし、古瀧さんが目標に掲げたのは最初から〝地域No.1サロン〟。そのため、周囲との差別化のために技術を磨き、納得できるまで貪欲に学び、チャンスがあるたびにそれを手繰り寄せることを続けてきました。高い目標を掲げることで、自らを奮い立たせ、ステップアップしていくことができたのでしょう。
その前向きさはどこから来るのでしょうか?
「あるメーカーが出しているアレルギー対応のケーキがあるんですけど、以前、息子が『こんな美味しいケーキが食べられるなんて、アレルギーで良かった』って言ってくれたことがあったのです。その前向きさにハッとさせられました」
愛する我が子の言葉が、古瀧さんの前向きな姿勢の源でもあったのです。
そんな古瀧さんの今の目標はさらに大きく、〝骨盤ドレナージュの世界進出〟。
すっかり成長し、つい最近、母に「あなたは〝持っている〟からね〜」と言葉をかけたという息子さんが、夢を叶え、より輝きを増した母の姿を見る日も、きっと近いことでしょう。
精油に魅了された学生時代からの夢を実現し、
周囲の縁あった人から癒していこうと開業
Hidamari(2019年10月設立)
https://lit.link/hidamariaroma
「大学では福祉や心理を勉強していました。そのため、アロマとの出合いも、初めは癒しの手段のひとつとしてでした。でも、いつの間にか精油の魅力に夢中になり、Wスクールで精油学や解剖生理学を学ぶように。そして、いつしか自分のサロンを持つことが夢になったのです」
そんな風に話してくれたprivate salon Hidamariの岡野友梨香さん。実はInstagramで話題沸騰の『アロまんが!!!』の作者でもあるという、多彩な才能の持ち主です。
在学中から「サロン開業」を目標に据えていた岡野さん。大学卒業後、まずは勤務セラピストとして腕を磨き、業界について実地で学ぶところからスタートしました。
開業のための資金をコツコツと貯めながら、さらに知識と技術を身につけるべくスクール通いも。リラクスパで1年、メディカルな知識も身につけられる鍼灸院のセラピストとして4年。そして、AEAJの資格に加えIFA(国際アロマセラピスト連盟)の認定セラピストの資格を取得したことを機に、満を持して開業します。
夢に向かってまっしぐらに前進を続けた結果、わずか26歳にしてマンションの1室でサロンをオープンしたのでした。
自分の満足いく空間作りをしたい。
身の周りの人や大切なお客さまのケアをしたい。
そんな熱い想いを持ち続ける岡野さんのサロンは、アロマだけでなく台湾式リフレクソロジーやよもぎ蒸しなどのメニューも揃います。
また、柔道整復師の先生を招いて講座を開催したり、解剖学とボディケアを教えたりと、「結果の出るホームケア」にもこだわっています。
さらに最近は精油の香りを擬人化して人気となった『アロまんが!!!』を機に、イラストの仕事も増えてきたとか。
八面六臂の大活躍をする若きセラピスト・岡野さんから、ますます目が離せません。
我が子を救い、親子関係を修復した学びで、
同じような悩みに苦しむ親子を笑顔にしたい
インナーチェンジングセラピー 羽(2020年4月設立)
https://www.my-own-way.com/index.html
「双子の男の子を懸命に育てていましたが、中学2年生のときに、次男が突然不登校になってしまいました……」
不登校、ひきこもりなどといった問題を抱える親子への心理カウンセリングセラピーを得意とする白根月子さんですが、実はご自身もかつて、「いっそこの世から消えてしまいたい……!」と思うほどの苦しみ、悲しみを抱えていました。
そんな白根さんを救ったのは心理学。インナーチェンジングセラピーとの出合いでした。
この手法を知り、カウンセリングを受けて癒され、自身でも学びを深めていく過程で、白根さんの全身にまとわりついていた〝鎧のようなもの〟が消え、心身ともに軽くなっていったといいます。
そして、白根さんが変わることで、周囲もどんどん変わっていきました。
「私の考え方やものの捉え方が少しずつ変わっていくにつれて、家の中の空気が穏やかに感じられるようになりました。そして何より嬉しかったのは、子どもたちとの関係も、どんどん良好になっていったことです」
学ぶことで癒され、また、白根さんの深い悩みを抱えるきっかけとなった息子さんの不登校も無事解決しました。そしていつしか、白根さんは同じような悩みを抱える多くの親子にも笑顔を取り戻してもらいたいと願うようになりました。
「1人でも多くの人にインナーチェンジングセラピーを知ってほしい……!」
白根さんはそれまでの仕事を続けながら株式会社メンタルサポート研究所で学び、一般社団法人の上級心理カウンセラー資格を取得。現在はカウンセリングや講座の傍ら、放送大学で学び、認定心理士資格取得を目指しています。
ご自身も深い苦しみ、悲しみを嫌というほど味わってきたからこそ、白根さんの講座やカウンセリングには温かみがあり、また説得力があります。
「自分自身の心のクセに気づき、自分でそれを修正していく」という白根さんのセラピーが、今日もまた親子に笑顔を取り戻させています。
さまざまなアプローチでお客さまの健康をとことん追求
心も身体も根本から癒したい……!
彫刻リンパサロンSérénité(2020年11月設立)
https://www.instagram.com/chika_sueyoshi
『セラピスト』2023年4月号には、「水で変わるセラピー効果」という特別企画記事が掲載されています。
私たちが生きていくのに欠かせない大切な水。お話を伺ったのは、彫刻リンパサロンSérénitéのオーナーセラピスト・末吉千佳さんです。
「セラピストが水を語れるの??」
そんな疑問を持つ方もいらっしゃるでしょう。
実は末吉さんは「人を健康にしたい」との想いから医療系の研究職を志し、大学院でバイオサイエンスを研究したバリバリのリケジョ(理系女子)で論理的思考の持ち主。しかも栄養学の知識もある! ということで、科学的な観点からも癒しの観点からも水を語れる適任者でした。
そんな末吉さんは、治験コーディネーター、京都大学iPS細胞研究所の研究者という世界から大きく方向転換をして、人を癒すセラピストになりました。
その根底にある想いは常に変わらず「人を健康にしたい」。
その対象が、“顔の見えない多くの人”から、より身近な“ご縁があった目の前のクライアント”になった、ということなのかな? と、末吉さんのお話を聞きながら思いました。
末吉さん自身、過去には平熱が36℃にも届かないものすごい冷え性だったり、生理不順でピルが欠かせなかったりといったしつこい不調に悩まされていました。だから、軽々しく「○○で改善しますよ」とは口にせず、「万人にコレ! と断言できるような薬も健康食品も健康法もありませんが」と言います。
その慎重で謙虚な姿勢が、さまざまな情報を集め、あらゆる側面から健康にアプローチしていくことにつながりました。末吉さんは、彫刻リンパセラピーの手技と健康指導師としての食や栄養のアドバイスに加え、電磁波などの害のない調理機器、身体を温める機能性インナー、浄水器、浄水シャワーヘッドなどの情報発信や販売も手がけています。
現代人の不調には根深いものが多く、西洋医学でも、またどんなに優れたセラピーでも、それだけでは改善まで届かないことが。何か相乗効果のあるものは……と試すうち、いつの間にか、各方面に幅が広がりました。
いろいろな健康法を試してみたいという方は、問い合わせてみてはいかがでしょう?