6年前から、小学生年代のサッカークラブに、指導者として携わっています。
今、教えているのは、この春3年生になった子供たち。
まだ身体が小さく、体力だけでなく技術やサッカーに対する気持ちにも、個人差がある世代です。
先月、2年生(当時)最後の行事として、親子サッカー大会を開催しました。
そこで、こんなことがありました。
普段はとても大人しく、試合中もなかなかボールを追いかけてくれない子がいるのですが、その日、相手チームにお母さんがいると分かると、今までに見たことがないような猛烈なチャージをしかけ、ボールを奪いにいったのです。
その子にとって、サッカーの練習や試合中に、初めて「やる気スイッチ」が入った瞬間でした。
それまでにも、あの手この手で、その子の「やる気スイッチ」を押そうとしました。
ところが、一向にそのスイッチは「オン」になりません。
もしかしたら、その子には「やる気スイッチ」がないのではないか……。
ところが、ちゃんと「やる気スイッチ」はあったのです。
ただ、指導者である自分が、そのスイッチを見つけられなかっただけなのだと……。
少年サッカーの指導者に求められることは多々、ありますが、低学年の指導者の場合、この「やる気スイッチ」を「オン」にすることも大きな役割の一つといえます。
ただ、そのスイッチを見つけることが難しく、そこが指導者の技術と経験の差にもなるわけです。
そのために、自分の引き出しを目一杯活用しなければならないのです。
セラピストにも、同じことが言えるのではないでしょうか?
少し前に、「治しと癒しの違いは、治しが第三者による医学的アプローチで実現するのに対し、癒しは本人の内部から起こる」という記事を読んだことがあります。
つまり、セラピストが人を癒すのではなく、その人自身の自然治癒力により自ら治癒するのであり、セラピストはそのサポートをしているにすぎないのです。
先日、あるアロマセラピストさんを取材していると、同じようなことをおっしゃっていました。
「セラピストの役割とは、その人のことを外から見て、必要な情報を与えてあげることなんですよ。その結果、その人自身の自然治癒力が癒しを起こすのですよ」
セラピストは、クライアントの自然治癒力が働くように、さまざまなセラピーを活用します。
1つひとつのセラピーは、あくまでも手段に過ぎませんが、自然治癒を起こすという目的のために、セラピストはたくさんの引き出しを用意しておくのです。
くだんの親子サッカーの場で、「こんなスイッチの入れ方があったのか!」と喜んだ私は、翌週の試合に所用で行くことができなかったため、その子がどんな様子だったのか知りたくて、試合に帯同した別のコーチにメールをしました。
数時間後に返った来た返信メールには、その日のチーム全体の報告と共に、次の一文がありました。
『親子サッカーで「やる気スイッチ」が入った○○君ですが、今日はどうやらそのスイッチを、家に置き忘れてきたようです──。この前は、きっと、お母さんが相手だったから、スイッチが入ったのかな?』
また、別の引き出しを用意しなければなりません……。
稲村